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tailwisdom's blog

tailwisdomのじゆうちょう

まどマギ叛逆の物語の結末について(後編)

前編から)

 前編をまだ読んでいない人は、まず前編から読んでもらったほうがわかりやすいと思いますー。

まどマギ叛逆の物語の結末について - tailwisdom's blog

一応、前編の超あらすじ

ほむらの視点から

テレビ版では、時間遡行によって「この世界の別の可能性や結末」を数多く知っているほむらは、他の魔法少女と同じように「この時間軸(物語)」を生きることができず、そのためまどかとの距離が開いてしまっていた。しかし、テレビ版のラストでまどかが神になり、すべての時間軸を把握できるようになったため、ほむらの戦いはまどかに理解され、ほむらは救われた(ように見えた)。
しかし、ワルプルギスの夜を消し去ったあとは、ほむらは時間遡行をしなくなるため「この時間軸(物語)」の内部の存在へと回帰する。そのため、神まどかとは再びすれ違ってしまう。
叛逆の物語の序盤では、ほむらはまどかと同じ物語を生きる。それは幸せなことであったが、その幸せが魔女の結界の見せるニセモノ*1であることを知り、ほむらは魔女の討伐を決意する。しかしそののち、ほむらは魔女が彼女自身であったことを知る。
その後、インキュベーターの監視に気づいたほむらは、円環の理の秘密が暴かれること*2を阻止するため、円環の理に導かれることなく、魔女として死ぬことを選ぶ。
しかし、さやか、なぎさの機転によってインキュベーターの裏をかいたまどか達によってインキュベーターの結界は破棄され、円環の理の秘密が暴かれる危険はなくなった。そのため、ほむらは円環の理に導かれ、魔女ではなく魔法少女として死ぬことが可能になった。それによってほむらは、再び物語の外部でまどかと結ばれることができるようになるはずだった。

しかし、映画ではほむらは魔法少女として死にまどかと結ばれることを選ばず、別の選択を行った。
それはなぜか。
ここからが後編の内容。

4.インキュベーターの結界破壊後、円環の理からまどかを引き剥がす。

 ほむらが円環の理に導かれるのではなく、円環の理からまどかを引き剥がしたのはなぜか。
 ほむらの幸せを考えるなら、円環の理から不完全な記憶のまどかを引き剥がすよりも、円環の理に導かれることで、その眷属として別の時間軸の全てのほむらを知るまどかと行動を共にする*3方がが良かったはずだ。にも関わらず、ほむらはまどかを円環の理から引き剥がした。なぜか。

 その理由はシンプルで、ほむらの行動原理は「ほむらの幸せ」よりも「まどかの幸せ」を優先したためだ。もうすこし具体的には、さやかに忠告を受けたあとにまどかと出会ったシーンで、まどかが「遠くに行ってしまうなんて、寂しくて私にはできない」と口にしたためだ。まどかのこのセリフを、ほむらは「円環の理になることはまどかにとって幸せでない」と解釈した。
 そのためほむらは、神となり物語の外に出たまどかを、再び物語の内部へと引き戻す、という選択を行ったのだ。物語の外でひとりぼっちのまどか*4を、家族や友達のいる物語へと引き戻す。ほむらの世界改変は、どこまでもまどか本位に行われた*5

 ほむら視点から考えると、円環の理に導かれて神まどかとともに物語の外に出れば、過去を完全に共有するまどかとずっと一緒にいられた。しかし、ほむらは神まどかからまどかを引き剥がし、神まどかが持っていたほむらの戦いに関する記憶は失われてしまった。繰り返しになるが、もしほむらが彼女の我欲を優先したのであれば、神に叛逆する悪魔になるより、魔法少女として死ぬことを選んだはずなのだ。

ほむらの世界改変によって、まどかとほむらは再び物語に復帰した。しかし。

 ほむらの行動原理は、どこまでも「まどかの幸せ」が優先される*6。そうした行動原理を思えば、テレビ版から叛逆の物語まで、ほむらの行動はほぼ一貫している。だから、僕は叛逆の物語におけるほむらの行動はそうあるべきものだと思う。

 ただ、叛逆の物語のほむらの行動で、納得できないことが1つだけある。
 それは、せっかくまどかを物語内に引き戻したのに、悪魔ほむらが物語の外部にいるかのように振舞っていることだ。テレビ版開始時点から叛逆の物語終了時点までで、ほむらとまどかが同時に物語内部にいる、という状況は実はこれが初めてだ*7。それはつまり、ほむらにとってはじめてまどかと対等に関係を構築できるチャンスだ。
 悪魔ほむらは時間遡行者ほむらと違って、インキュベーターワルプルギスの夜からまどかを守る、という使命はない。そのため、時間遡行者ほむらのように「まどかの幸せのために行動を最適化した結果、まどかとまともにコミュニケーションが取れない」ということはないはずだ。ワルプルギスの夜を消し去り、インキュベーターの結界を破り、ソウルジェムの形を作り替え、世界の理を書き換えることでようやく掴んだ「まどかと物語をやり直すチャンス」をそんなふうにフイにしてしまうのは、あまりにも惜しいのではないだろうか。

 ……とはいったものの、自分が作り替えた世界で、あたかもいち登場人物のように振る舞うのは厚顔無恥かもしれない。円環の理から引き剥がされたまどかは多くの記憶を失っているため、ほむらとの情報は非対称で、それ故そこに対等な関係は築けないかもしれない。すくなくとも、ほむらからまどかに近付くのは、フェアでないかもしれない。
 もし、ほむらにそんなことが出来る程度の図々しさがあったなら、彼女は世界改変をしたりせず、魔法少女として死ぬことを選んだだろう。まどかの孤独に気づいていないふりをして、あるいは「私がまどかの孤独を埋める」と決意して。しかし、ほむらは純粋さゆえか、潔癖さゆえか、そうした図々しさが発揮できない。その生真面目さと不器用さこそがテレビ版ラストにおける奇跡を生んだのだけれど、一方で叛逆の物語におけるほむらの救われなさもその生真面目さと不器用さに起因している。

 ほむらがほむらのままで、どうすれば幸せになれたのかはよくわからないし、ほむらがほむらのままである限り、新編まどマギがどれだけ続いても、ほむらが幸せになることは無いような気がする。
 だから、ほむらには変わってほしいと思う。魔女もインキュベーターも脅威ではなくなった世界では、彼女の幸せを妨げるものはおそらく彼女自身しかいないから。

*1:必ずしもニセモノではないのだけれど、いずれにせよ、ほむらとしては魔女のつくった世界を認めることはできない。

*2:そしてまどかがインキュベーターに利用されること

*3:さやかやなぎさのように

*4:実際には、さやかやなぎさや他の元魔法少女がいるようだが

*5:そう考えると、さやか(やなぎさ)までもが物語へと復帰したのも、まどかを迎える物語の内部の空白を埋めるためかもしれない。

*6:より正確には、「ほむらが思うところのまどかの幸せ」が優先される。この辺りの微妙な齟齬が、ほむらのヤンデレ感の理由だと思う

*7:過去の回想シーンと、魔女ほむらの結界の内部を除けば