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『おおかみこどもの雨と雪』について

ASCII.jp:「おおかみこどもの雨と雪」興収42億円ヒットの背景 (1/5)|渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」

 金曜ロードショーで取り上げられたこともあって、最近、おおかみこどもの雨と雪の感想をよく見かけた。
 おおかみこどもは、その興行的な成功とは裏腹に、僕の観測範囲では毀誉褒貶さまざまで、貶の最たるところだと、こういうのもあった。
 さすがにこの匿名ダイアリーは誤解がすぎると思うけれど、ともあれ人によって感想が違うという状況はおもしろいので、僕も僕の思うところを書き綴ってみようと思う。

(追記:今朝ついったーのRTで流れてきた @tail_y さんの感想がすごく良くて、そのついーと群を引用したらもう僕が書くことは何もないですみたいな感じになった。とぅぎゃったーにまとめられていたらそっちを引用したかったのだけれど、まとめはないっぽいのでついログのurlを貼っておきます。おおかみこどもの話はまんなかあたりから。)

全体的な感想

 おもしろかった。というよりも、いい話だなぁと思った。
 僕は、「おおかみこども(狼人間)」をマイノリティの比喩だと思った。生まれながらにして(生まれる前から?)ふつうの人間とは違う性質を持っている子供。狼人間という性質が良いものであるか悪いものであるかということとは関係がなく、「ふつうの人間とは違う」という事自体が大きな枷として機能してしまう状態。そういうマイノリティである雨や雪、あるいは雨や雪の保護者である花の苦労と成長が描かれる、という内容だと受け取った*1
 雨と雪のふたりは、狼人間であるという自身の性質に苦しみながらも、最終的にはそれぞれ人として、あるいは狼としての生き方を選びとり成長していく。そうやって雨と雪がそれぞれの生き方を見つけ、成長していくという物語は、マイノリティへの応援になっていたと思う。

都会と田舎の人間関係について

 花は、はじめ都会(東京?)の大学生だった。だから、雨、雪の出産直後は、しばらく都会で生活している。
 しかし、都会での育児には困難が伴う。雨の夜泣きによって近所の人に怒鳴り込まれたり、雨が泣き止むまで家の外に出れば出たで、柄の悪い連中の影に怯えて場所を移動したりしている。また日中に公園を散歩していても、ふとした拍子に狼化した姿を周囲の人に目撃されかけて慌てて逃げるシーンもあった。都会には人が多く、どこにいても(アパートの自室にいてさえ)他者から隔離されて生きることは難しい。周囲との接触それ自体がストレスになる花たちにとって、都会での生活というのは実に息苦しいものであった*2
 都会での生活につかれた花は、田舎への転居を決める。そして花は、田舎の集落の中でも辺縁に位置する、山の近くの空き家を転居先に選ぶ。それがなぜかといえば、その時点での花の望みは周囲との隔絶であって、静かな生活であった。だから、そこが都会であろうと田舎であろうと、なるべく周囲に他者がいない場所を求めるのは当然だった。
 さて、都会の人口密度につかれた花は田舎に転居したが、それによって花のかかえる問題が全て解決したのかというと、もちろんそうではない。自宅の補修に始まるさまざまな困難に加え、人間関係についても、隔絶からは程遠い状況だった*3
 それでも田舎での花たちの生活が都会よりも平穏なものとなったのは、一つには都会と比べて人口密度が低いいなかでは、周囲と隔絶された時間というものがある程度は確保できたこと*4、そして、雪、雨の成長によって、それほど隔絶が必要でなくなったことによる。
 またもしかすると、都会と田舎では人間関係の匿名性が異なる、というのも一つの理由かもしれない。都会で花のストレスとなった「周囲の人達」は、名前の分からない人たちであり、またその顔も描かれないことが多い。他方、田舎での花の周囲の人たちは、顔と名前が存在する(作中で名乗っていたかは覚えていないけれど、少なくとも花たちは、彼らの名前と顔を把握しているはずだ*5)。顔のわかる相手というのは、つまり個別にコミュニケーション出来る相手であるので、匿名的な相手よりは付き合いやすいのだろうと思う。

雨と雪について

 雨と雪は、一貫して対照的に描かれていた。
 外向的な雪と内向的な雨。人として生きる雪と狼として生きる雨。どちらかと言うと、雨のほうが苦労の多い生き方をしていたように見えるけれど、それはたぶん、花の生き方が人間的だったからだろう。花は雨と雪にできるだけ自由に生きてほしいと願ったけれど、とはいえ人間である花が育てる以上、その生き方は人間の生き方をベースにしたものにならざるを得ない。
 小学校低学年までは生きづらそうにしていた雨が、山で狐の「先生」に出会った以降は急速に自分の生き方を確立していったのも、「狼としての生き方」を見つけることができたからだろう。 他方、雪は早々に人間としての生き方を身につける。蛇の抜け殻を集める趣味が他者にとって受け入れがたいものであることを学び、可愛らしいワンピースをねだる。すなわち、彼女は人として生きる。
 2人の生き方は、「狼人間である」という人間世界での生きづらさをどのように受け止めるか、という点で、やはり対照的だったと思う。雨は、「狼人間である」という自身の性質を発揮するため、人間世界に背を向け、山へと入っていく。雨にとっては、狼であるという彼の性質が抑圧される人間世界よりも、彼の性質をいかんなく発揮できる山の世界の方が生きやすい場所だったのだろう。
 他方、雪は「狼人間である」、という自身の性質を隠し、人間世界で生きていく。雪にとって「狼人間である」という自身の性質は守るべき重要なアイデンティティではなかったのだろう。とはいえ、彼女のその性質は、しばしばトラブルをもたらす。特に、雪が誰かと親しくなろうとしたとき、彼女は自身の性質を打ち明ける事が必要になるだろう*6
 雪と雨の違いは、自身の性質と周囲の環境となじまないときに、自身を変えるか(雪)、周囲を変えるか(雨)の違いだ。そのどちらがいいというわけでもなく、それぞれにとって生きやすい道を見つけることが重要なのだと思う。

花について

 母は強し、の言葉で片付けるのはあまりにも乱暴かもしれないけれど、そうとしか言いようがないくらいスペックの高い人だ。
 苦学生から突如として2人の赤子を育てるシングルマザーとなった。それだけでも過酷なのに、子供である雨、雪は狼人間であるために周囲の援助も受けづらいなど、きわめて辛い境遇に置かれている。それゆえ、花は完璧な母親に「ならざるを得なかった」。人に頼ることができない以上、花はひとりでなんでもできる母親になる他、生きていく術がなかった。『おおかみこども』にリアリティがないとしたら、その原因はほぼすべてここに起因するように思う。
 もちろん、花ははじめから完璧な母親だったのではなく、完璧な母親になるために努力をしている。花が本を読んで勉強をしている姿は何度となく描写されるし、転居時に家具らしい家具もないのに、本棚と本だけは早い時期からあったことからも、彼女の中で本による知識の習得がきわめて重要だったことが示唆される。チートっぽいキャラクターではあるのだけれど、花は超人として設定されているわけではなくて、努力によって超人にならざるを得なかった凡人なのだと思う。
 ところで、花は物語冒頭に母になり、それ以降ずっと、雨と雪の母親としてあらゆる困難と直面していく。そして物語のラストで、雨は狼として山へと入っていき、雪は全寮制の中学校へと進学し、ともに家を出る。そうして子供が自分の手から離れたのち、十数年を母として生きてきた花は何を思い、どうやって生きるのだろうか。この節のはじめに「母は強し」と書いたけれど、母としての役割の大部分を果たし終えたあと、花は何になるのだろうか。
 僕としては、雨よりも雪よりも、花の「今後」がどうなるのか、それが一番気になった。

*1:花に関しては、成長するまでもなくはじめからすごく優秀な母親だったようにも見えるけれど。

*2:ただし、それは都会の人口密度といった構造的な問題であって、都会の人間が冷酷だとかそういうことではない。

*3:転居後のシーンで、狼化した姿で近所の人の前に現れるという雪のいたずらに花が慌てるシーンがあった。

*4:例えば、物語終盤の雨と雪の喧嘩シーン、あれが都会のアパートの一室で行われていれば、警察を呼ばれても不思議ではない騒ぎだったろう。隣家と離れた田舎の家だったからこそ、あれは単なる兄弟げんかとして処理することができた。

*5:雨は把握していないかもしれない

*6:雪が草平にしたように。あるいは、雪の父親が花にしたように