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宝くじと夢と期待値と大数の法則について

宝くじと期待値について

 年末ジャンボ宝くじが発売されているらしい。
 僕はギャンブルに向いていないので手を出していないけれど、確かに宝くじ売り場の前を通ると、行列ができていることもあったし、きっとよく売れていることだろう。宝くじの売上の一部は税金と同じように地方の収入となるので、大いに売れてほしいと思う。

 ところで、宝くじというと「ギャンブルの中でもかなり期待値が低い」ことで有名だ。前に大雑把に計算したら、期待値はだいたい0.5くらいだった。これがどういうことかというと、宝くじを1万円分買う、ということを繰り返すと、当選額の平均は5000円に近づく、という意味だ。

期待値と夢について

 1万円賭けて5000円返ってくるのだとすれば、当然収支は赤字である。「宝くじは夢を買っているのだ」という主張は、つまり当選金が欲しいわけではなくて、くじのワクワク感を楽しんでいるのだ、ということだろう。まぁ、そういう趣味があっても別に良いと思う。

 ただし、ここで重要なのは、期待値というのはあくまでも十分な試行を重ねた場合に収束する点であって、それほど信頼できるものではないということだ。宝くじの期待値は低いけれど、宝くじで儲けた人がいないわけではない。逆に、期待値はすごく高いけれど、儲けるのはとても難しい、というゲームもありうる。サンクトペテルブルグのパラドクス、と呼ばれるものがその一例だ。

 宝くじを買えばたいていは損をする。期待値が0.5だといっても、これは損をする人が半分という意味ではない。宝くじは圧倒的多数の人が少しずつ損をして、極少数の人が大儲けをする仕組みだから、人数で言えば損をする人のほうが圧倒的に多い。裏を返せば、損をするときは傷が浅いけれど、得をするときは大儲けなので、一発逆転には向いているかもしれない*1。ものすごく低い確率だけれど、何百円の投資によって何百万円、はては3億円が手に入るというのは、なかなか他の手段では実現しにくい。

 つまり、宝くじは期待値は小さいけれど偏り(結果のゆらぎ)が大きい。その偏りこそが「夢」と呼ばれているものだろう。
 例えば、公務員という職業は「夢がない」と言われがちだけれど、これはつまり、公務員という職業は安定していて「偏りが少ない」という意味だ。公務員(に限らず、多くのサラリーマン)の給料はおおむね決まっていて、来月もらえる給料はほぼ完全に予測可能だし、5年後の給料もある程度は予測ができる。それは、例えば自営業の人やギャンブラーに比べると、はるかに偏りが小さい=夢がないといえるだろう*2

大数の法則について

 確率や期待値というのは行動決定の指針にはなるけれど、試行回数が少ない場合にはあまり役に立たない。
 というのも、試行回数が少なければ、相対的に珍しいことが起きる割合が大きくなるからだ。

 例えば、ここに1枚のコインがあったとする。このコインは実は細工がなされていて、表が出る確率が2分の1ではなく、表か裏のどちらかがより出やすくなっている。そこで、あなたは、実際にこのコインを何度か投げてみて、どちらが出やすいのかを調べてみることにしたとしよう。
 まず1回コインを投げると、裏が出た。ということは、このコインは裏が出やすいコインなのだろうか? もちろん、一回だけの試行ではわからない。もしかすると、たまたま出にくいはずの表が出ただけかもしれないから。
 10回投げてみると、表が5回、裏が5回出た。おや、このコインには仕掛けなど無いのだろうか? いやいや、決めつけるにはまだ早い。たまたま結果が偏っているだけかもしれない。
 100回投げてみると、表が57回、裏が43回出た。どうやら、少し表のほうが出やすいようだ。 とはいえ、まだ確信するには早いかもしれない。
 1000回投げてみると、表が603回、裏が397回でた。 ここまで来ると、表のほうが出やすいというのはほぼ間違いないといえるだろう。しかし、「では、何%の確率で表が出るのか」というと正確にはまだわからない。それを知るためには、さらなる思考が必要だといえるだろう。
 ちなみに、統計学では結果のばらつきが偶然なのか、それとも確率の方よりなのかを判断するために、「検定」という方法を使う。これによって、確率の偏りがどの程度なのかを評価できる。そしてその場合も、基本的には試行回数が多いほど評価の精度は良くなる。統計を使う人々が総じてデータに飢えているのは、そういう背景によっているのだろう。

 別の例を出そう。
 将棋や囲碁のプロが対局しているとしよう。対局している2人の騎士の力が拮抗していれば、序盤の二人の棋士は、少しでも自分が有利になるように、言い換えれば期待値が最大になるように手を進めていく。
 中盤、互角だった形勢が、徐々に傾いていく。有利な棋士は優位をさらに強化するように手を進め、不利な棋士は形勢をひっくり返すための手を模索する。このとき、棋士は期待値に加えて、確率のばらつき、言い換えれば「夢」について考える。
 将棋の手筋には、比較的道筋のはっきりした手筋(例えば定石と呼ばれるようなものだ)と、さまざまな分岐のあり得る複雑な手筋が存在する。複雑な手筋になると、いくらプロの棋士といえどもうっかり悪手を指してしまう確率も高まり、形勢がひっくり返るような事態も起こりやすくなる。それゆえ、有利な棋士はそうした複雑な手筋を嫌い、多少期待値で損をしても、わかりやすい局面にしようとする。他方、不利な棋士は逆転を目指して、より局面を複雑にしようとかき乱す。
 もちろん、複雑な局面にしたからといって、不利な棋士ばかりが得をするわけではない。不利な棋士が悪手を指し、不利が決定的になってしまう可能性だって大いにある。というか、どちらかと言えばその可能性のほうが高い(形勢が不利な棋士は、指せる手が相対的に限られていることが多いから)。
 それでも、一度傾いた形勢をひっくり返すためにリスクを取るという選択肢は、戦術として十分にありえる。これは将棋や囲碁に限ったことではなくて、例えばサッカーの試合でも、試合終盤になれば勝っているチームはボール回しが増え、負けているチームはロングボールが増える。ふつうにやってはジリ貧になるような状況下では、「夢」に賭ける選択こそが合理的になる可能性もあるだろう。神に賭けよ、といった哲学者もいるし。

宝くじと夢について

 結局何が言いたいのかといえば、宝くじを買うことが得か損かということは、結局「夢」の価値をどのくらいに見積もるのか、ということによって決まるということだ。
 お金儲けの手段として宝くじを使うのはあまりにも分が悪いけれど、どうしても大金がほしいけれどお金を儲ける手段を持っていない、というのならば、不利を承知で宝くじを買う選択があってもいいかもしれない。
 もちろん、宝くじを買う行為そのものが楽しいのだ、という主張があっても良い。宝くじを買わない僕でも、お年玉付き年賀はがきの当落をチェックする作業はけっこう好きだし。

*1:これは、投資で失敗する人のパターンが小さな得を積み上げながら、ある日突然巨大な損をして破綻する「コツコツドカン」だと言われているのと、ちょうど対照的だ。

*2:一応ことわっておくけれど、僕は「夢がある」ことがいいことだとは主張していない。個人的にはむしろ、人生計画の立てやすい偏りの少ない(夢のない)生き方をしたいと思っている。