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正義は規則に優越しない

 グリーン車の話題について、少し思うところを書いてみる。

東海道新幹線ダイヤ乱れ列車で一夜 NHKニュース

超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ

論点

 今回の炎上がどういうものかといえば、火事に伴う大幅な運行の遅れにより混雑した新幹線の車中で難儀した人がいて、そうした人に比較的すいていたグリーン車(や指定席)を開放するべきではないか、という議論のようだ。ちなみに、新幹線の車中で指定席やグリーン車の切符を購入することは(空席があれば)車掌に申し出ることで可能だそうだ。しかし、炎上している議論では、お金を払って移動することを批判する人はいなかった。つまり論点は、自由席で混雑に巻き込まれている弱者を「無券で」移動させることの是非のようだ。

「弱者保護」は(数あるうちの1つの)正義である。

 「無券で移動させるべき」という主張をしている人の意見を眺めてみると、『緊急時であるため、特例的処置を取るべき』というような主張が多いようだった。たしかに、火事によるダイヤの遅れの影響で、新幹線は通常以上に混雑し、通常以上に所要時間がかかっていたようだった。そのため、乗客の疲労を緩和するためのなんらかの対策が必要であったという主張には、頷けないこともない。少なくとも、弱者を保護しようという思想自体は圧倒的に「正しい」。

ある正義は別の正義と衝突する。

 しかし、乗客を無券で移動させることにはさまざまな問題もある。
 例えば、無券でグリーン車に移動する乗客がいれば、正規料金を払った乗客は不公平を感じる。また、空席だけでなく、廊下に立つ客などを入れることで全体的な混雑の緩和をはかる場合、「空いている車内」の快適さのためにグリーン車の切符を購入した乗客の権利を侵害していることになる。これは、乗客に対するJRの規則違反だろう。これは、「公平」や「契約履行」という正義に抵触している。
 もちろん、混雑した自由席車両から疲れた人が移動してきて指定席車両やグリーン車で休んでいたとして、それ自体に文句をいう人はほとんどいないと思う。現に目の前に困っている人がいるときに、ことさらその人をさらに攻撃しようと思う人は珍しい。
 だけれど、JRがグリーン車を無券で開放したとなれば、当然グリーン車の乗客たちは払い戻しを求めるし、その要求は当然のものだ。グリーン車の乗客が何名いたのか知らないが、料金を払い戻せば数十万円から百数十万円になるだろう。現場の車掌の判断でグリーン車を開放するのは難しいのではないだろうか。それに、車両を開放したとして、誰が移動をオペレートするのか。ただ車両を開放するだけでは、混雑した社内の中で人が移動して、余計なトラブルを生んだ可能性もある。
 こうした問題があることがわかっていたなら、「それについてはそっちで何とかしろ」と丸投げしておいて「弱者保護」を訴えても、説得力はないだろう。同様に、複数の正義が衝突しているときに一つの正義だけを盲目的に信じて、他の正義が存在することすら認めないという態度も説得力がない。というよりも、対話の可能性がない。相容れない意見を全否定して石を投げ合ってても宗教戦争にしかならないわけで、必要なのは相反する複数の正義の「落とし所」を探すことだろう。

規則が複数の正義を調停する。

 弱者保護のためにはそうした不正義は問題にならない、と主張する人がいるかもしれない。もし、現にグリーン車に乗っている乗客たちがそう主張するのであれば、たしかにそのとおりだと思う。当事者が合意の上である正義を選びとるというのなら、それも良いだろう。しかし、現にグリーン車に乗っているわけではない人たちがそう主張するのだとすれば、それは無責任だ。ある人の正義と別の人の正義がぶつかっている場合、それを調停するのは規則の役目だ。規則が不正義だというのであれば規則を変更するべきだけれど、規則を変更する手続きについては、また別の規則が定めている。そして、民主主義においては、ふつう規則の変更手続きは、それ自体が相反する正義の調停プロセスになっている。規則を定める/変更する手続きによって複数の対立する正義が調停され合意が形成されているので、基本的には規則に従うことが最大多数の正義に適う行為であるはずだ*1

規則を破れば責任を問われる。

 規則を曲げるという判断は、一般にリスキーだ。規則を破ること自体にペナルティがある場合もあるけれど、それ以上に、規則を破った結果おこったトラブルについては、個人の責任になりがちだからだ。例えば、今回車掌が個人の判断でグリーン車を開放したとして、それによって特にトラブルが起きなければ、車掌の判断は賞賛されるだろう。しかし、万が一トラブルが発生した場合*2、規則を破った車掌個人がその責任を問われるおそれがある。
 重要なのは、ここで規則を破るリスクを追うのは車掌であるということだ。「弱者保護」を訴えている人がどう思っていても、彼/女らが責任を肩代わりすることはできない。僕が今回の騒動で気になったのはこの部分で、自分は損をしない立場にいながら、他者がリスクを取らないことを避難する態度は正義ではないと思った。
 上にも書いたように、正義は一つではなく、相反する複数の正義が存在する。そのため、(規則によらない)正義の行使というのはある意味で個人的な行為であって、自身の責任が及ぶ範囲でのみ行うべきだと思う。

余談:じゃあどうすればよかったのか。

 以上の僕の主張も、言ってみれば一つの正義にすぎない。だから、たぶん納得出来ない人も多いだろう。特に、実際に混雑した車内に極度に疲労した人がいて、他方グリーン車などが比較的空いている状況に出くわしたら、乗客の移動があるべき正義であるように思うかもしれない。
 とはいえ、やはり車掌に規則を曲げる判断を促すというのは無責任だと思うので、他に何かできることがなかったのか、を考えてみた。


<今回できたこと>
1.自分の席を譲る。
 もし自分が座席を確保していたのであれば、自分の座席を困っている人に譲る。基本的だけれど有効な方法だ。混雑した車内でも3人か4人に1人くらいは座れるわけで、これだけでもかなりの弱者は助かったと思う。というか、実際に席を譲る人が多かったと聞く。

2.正規料金を払って移動する。
 規則違反となるのは「無券での移動」だから、正規料金を払うならば問題ない。困っている人のためにグリーン車のチケットを買ってあげるほどの親切心を発揮できる人はあまりいないと思うけれど、自分が移動するだけでも少なくとも1人分のスペースが空く。ただ、いずれにせよ空席がなければ無理なので、それほど有効な対策ではなさそう。

3.規則に従って規則を破る。
 今回のケースだと、規則違反それ自体よりも、それによって派生的に発生する可能性があったトラブルが懸念されていたように思う。
 そのため、そうしたトラブルを回避することができれば特例的措置も可能だったのではないか。例えば、車掌がグリーン車を開放するような措置が可能であるかどうかを本社に問い合わせるなど、責任が取れるように事態をコントロールする工夫はあったかもしれない。ただし、当時の車掌やJRがどのくらい忙しかったのか分からないので、これが現実的な案なのかはよくわからない。

4.車掌の許可を得ずにグリーン車に移動させる(非推奨)。
 今回の元ツイートで僕が引っかかったのは、規則違反を「車掌に」求めていることだ。つまり、規則違反のペナルティを自分ではなく車掌に負わせている点だ。そのため、例えば車掌の許可を求めず、自身の責任において規則違反(グリーン車への無券での移動)をし、その結果生じたトラブルの責任を取るのであれば、それはそれで一貫した行動だと思う。(もちろん、規則違反それ自体は支持しない。)
 それによって特にトラブルも生じず、関係者全員が納得したなら美談になったかもしれないし、なんらかのトラブルが生じたら、早まった行動であると非難をされただろう*3。いずれにしても、責任を取る能力があったのなら、推奨はされないが、そういう選択肢はあったように思う。
 ただ、今回の新幹線の遅れで病人やけが人が出たというニュースは今のところ見ないので、そのような過激な手段に出る必要はやはりなかったのだと思う。


<今後できること>
1.マニュアルの整備
 こうした状況下での有効な対策が規則として明記されていれば、今回のような議論はなかっただろう。
 もちろん、対策を準備するのはJR側だけではなくて、乗客の側も、こうした新幹線の運行の遅れ、トラブルに対応できるようにスケジュールの余裕や移動手段の選択肢を確保しておくことが望ましいだろう。口で言うほど簡単なことではないけれど。

*1:ただし、これは規則が民主的に決められている場合の話であって、非民主的に決められた規則についてはその限りでない。

*2:そして、トラブルが発生する可能性はそれほど低くなかったように思う。

*3:どちらかと言うと、後者になった可能性が高いように思う。